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佐賀県医療センター好生館

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TEL:0952-24-2171 
FAX:0952-29-9390

〒840-8571 佐賀市嘉瀬町大字中原 400

交通アクセス

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好生館の歴史

佐賀県医療センター好生館には創設して180年を超えた歴史と伝統がある、日本でも数少ない病院の1つです。
当館に残る、日本の歴史上でも重要な資料や逸話を下記のリンクでご紹介します。


ここでは好生館の設立理念と歴史をご紹介します。

好生館設立の理念

「好生の徳は民心にあまねし」

好生館は、1834年(天保5年)第10代佐賀藩主鍋島直正公により医学館・医学寮が佐賀市八幡小路に創設されたことにはじまります。

当時の医学館・医学寮には既に直正公自ら書かれた
扁額「好生館」が置かれており、1858年(安政5年)片田江(佐賀市水ヶ江)に移転した際、好生館の名称に統一されました。

名前の由来は、中国の「書経」の一節『好生の徳は民心に洽(あまね)し(人の生命を大切にする徳を万人にゆきわたらせる)』によっています。

最新の医療を必要な人すべてに提供していくというこの理念は、180年を超える好生館の歴史において途切れる
ことなく伝えられています。

写真:好生館扁額

好生館扁額

「学問ナクシテ名医ニナルハ覚束ナキ儀ナリ 」

藩校弘道館の教授であった古賀穀堂が、1806年(文化3年)に『学政管見』を著わし、この中で、医学教育の必要性を訴え述べたものです。

医療者の日々の研鑽を怠ることのない向上心、医療者を育てていくための教育の重要性を表しているものとして、好生館のもうひとつの精神的よりどころです。医学生、看護学生などの教育関連機関として、医師の研修指定病院として医学医療教育に当たり、各種学会での発表、好生館医学会などを通じての自己研鑽に励んでいます。

写真:『学制管見』

『学政管見』

(公益財団法人鍋島報效会 所蔵〜佐賀県立図書館寄託)

写真:好生館医学会

好生館医学会

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好生館の歴史

第1期(蘭学の勃興から好生館創始まで)

佐賀藩は長崎に近いこともあり、海外の情報にも明るく、幕末の頃には、工業、医学、など日本における、科学の最先端の技術を取り入れていました。1781年(天明1年)好生館の前身である藩校『弘道館』が設立されました。1805年(文化2年)古賀穀堂が弘道館教授となり、1806年(文化3年)に『学政管見』を著わします。この中で、医学教育の必要性を訴え、好生館の設立の理念の一つである『学問ナクシテ名医ニナルハ覚束ナキ儀ナリ』と述べています。1830年(天保1年)鍋島直正公が第10代藩主となって藩政改革に乗り出し、1834年(天保5年)佐賀市八幡小路に医学館・医学寮を創設しました。この時医学寮には直正公より「好生館」の扁額が下し置かれており、この頃すでに好生館と呼ばれていたことがわかっています。これが好生館の始まりです。

出来事
1754 山脇東洋 京都で本邦初の人体解剖 5年後に[蔵志]刊行
1774 杉田玄白 前野良澤 [解体新書](ターヘル・アナトミア)刊行
1781 佐賀藩8代藩主 鍋島治茂 松原小路に藩校[弘道館]を設置
初代教授として古賀精里を迎える
1783 大槻玄沢 オランダ語の入門書[蘭学階梯]完成
1791 楢林栄哲 蘭方医として初めて佐賀藩医となる
1795 島本良順 長崎に蘭学を学び、佐賀蓮池町に蘭学塾を開く
1796 ジェンナー 牛痘接種に成功 シーボルト生まれる
1805 古賀穀堂 佐賀藩校弘道館教授に任命 華岡青洲 乳癌手術 ※1
1806 古賀穀堂 [学政管見]を第9代藩主鍋島斉直に内覧 医学教育の必要性 「学問ナクシテ名医ニナルコト覚束ナキ儀ナリ」※2
1815 杉田玄白 [蘭学事初]
1822 伊東玄朴 大庭雪斎 島本良順に師事 ※3
1823 シーボルト 長崎出島着任
1824 シーボルト [鳴滝塾]開設 楢林宗建、伊東玄朴、大石良英、大庭雪斎ら入門
1830 鍋島直正 第10代藩主となり藩政改革に着手
1833 伊東玄朴 江戸下谷に[象先堂塾]を開く
1834 佐賀藩 [医学館・医学寮]を八幡小路に創設 島本良順寮監
直正公より賜る扁額を掲げる ※4

写真:蘭書

蘭書
ポンペの病理学書

写真:古賀穀堂肖像

※1 古賀穀堂肖像
(佐賀県立博物館所蔵)

写真:学制管見

※2 学政管見
(公益財団法人鍋島報效会 所蔵〜佐賀県立図書館寄託)

写真:伊東玄朴

※3 伊東玄朴
(佐賀城本丸歴史館所蔵)

写真:好生館扁額

※4 好生館扁額
鍋島直正の直筆による扁額が残されています。

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第2期(好生館創始から佐賀県立病院好生館へ)

1834年(天保5年)の好生館創始より、佐賀藩は、時代の最先端にあり、1849年(嘉永2年)全国に先駆けた種痘の実施、1851年(嘉永4年)佐賀藩医業免札制度の発足(全国に先駆けた医師免許の発行です)など、先に例を見ない新しい取り組みが行われていました。1858年(安政5年)、片田江(佐賀市水ヶ江)に移転して医学館・医学寮・好生館と様々に呼ばれていた名称が、「好生館」に統一されました。明治になっても好生館はその機能と理念を引き継ぎ、多くの外国人教師を招き、全国トップレベルの教育と医療がなされていました。

出来事
1843 伊東玄朴 直正公の侍医となる
1844 大石良英 直正公の侍医となる
1846 天然痘の大流行
1849 楢林宗建 牛痘痂を我が子建三郎に接種し成功
大石良英 直正公嗣子淳一郎君に種痘 ※5
伊東玄朴 佐野寿仙 江戸にて直正公長女貢姫に種痘
1851 佐賀藩医業免札制度発足 ※6
1853 ペリー 浦賀来航 プチャーチン 長崎来航
1858 伊東玄朴ら神田[お玉が池種痘所]開所
[医学寮]を水ヶ江に移転[好生館]の名称に統一される
教導方 大庭雪斎 大石良英 指南役 金武良哲
1860 お玉が池種痘所 幕府西洋医学所となる
1867 相良知安 好生館教導方差次 ※7
1869 相良知安の主張を入れ明治政府ドイツ医学採用決定
1871 廃藩置県 佐賀藩は佐賀県となる 9月伊万里県となる
1872 [県立好生館病院]外国人医師 ヨングハンス(米)着任
伊万里県を佐賀県と改称
1873 外国人医師 スローン(米)着任 相良知安 文部省初代医務局長 医師略則作成
1874 征韓論 江藤新平佐賀の役 スローン 池田陽雲ら両軍傷病者を診療
1876 三瀦県となる 8月長崎県となる
1877 西南の役おこる 外国人医師 シモンズ(独)着任
東京大学医学部開設
佐野常民 [博愛社](日本赤十字前身)を開設
1879 外国人医師 デーニッツ(独)着任 ドイツ医学を教える傍ら蜘蛛を採取 ※8
1882 [甲種医学校]となる 教授 池田陽一 川原 汎 デーニッツ
大隈重信 東京専門学校(早稲田大学前身)創設
1883 長崎県より分離独立し、県名再び佐賀県となる
1885 デーニッツ佐賀を去り、ロベルト・コッホ研究所に移る
池田陽一 福岡医学校(九大医学部前身)で帝王切開成功
1887 博愛社、日本赤十字社と改称
1888 [公立佐賀病院]となる 院長 池田専助 甲種医学校資格を失う
1890 第一日本医学会開催される
北里柴三郎 破傷風 ジフテリアの血清療法
1896 武富時敏ら県立病院復活運動 レントゲン X線の発見
レントゲン線の発見が東京医事新誌に紹介される
山川健次郎 レントゲン線による撮影に成功

写真:種痘の画

※5 種痘之図

 

 

写真:医業免札姓名簿

※6 医業免札姓名簿
佐賀では全国に先駆けて医師の免許制度ができました。

 

 

写真:相良知安の東大の碑

※7 相良知安の東大の碑

 

 

写真:外国人教師デーニッツ

※8 外国人教師デーニッツ

 

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第3期(佐賀県立病院好生館誕生から新病院移転まで)

1896年(明治29年)『佐賀県立病院好生館』となりました。以後、2010年(平成22年)地方独立行政法人に移行し2013年(平成25年)4月まで、水ヶ江の地にて佐賀の医療を担う地域の中核病院として、医療教育と医療提供との使命を果たしてきました。

出来事
1896 [佐賀県立病院好生館]となる 初代館長澁谷周平 就任
1899 県立病院好生館付属看護婦養成所
1901 本館(1棟)、病室(2棟) 改築 ※9
1902 二代館長 青木周一 就任 ※10
1905 三代館長 大黒安三郎 就任
1906 医師法制定
1907 佐賀県医師会設立 池田陽一会長
1911 九州帝国大学設立 (医科、工科)山川健次郎初代総長
1915 四代館長 臼井鐵治 就任
1918 本館改築
1922 病室(5棟)改築
1923 五代館長 志村宗平 就任
関東大震災 好生館医療団を派遣
1926 健康保険法公布
1930 六代館長 築地美暢 就任 「創立三十五年記念誌」発刊
1944 佐賀保健所設立
1950 県立病院好生館付属看護学院(乙種看護婦)設置
1953 七代館長 鶴丸廣長 就任
1955 新病院落成 ※11   「創立六十周年記念誌」発刊
1957 県立病院好生館付属准看護学院設置
1968 臨床研修指定病院指定 佐賀県立高等看護学院設置
1976 佐賀医科大学開設 古川哲二学長
1977 好生館全面改築 ※12
患者ID 外来カルテの中央化
1978 佐賀医科大学開講 第1期生入学式 好生館を関連教育病院に指定
1979 救命救急センター新設 「好生館改築記念誌」発刊
1981 佐賀医科大学附属病院開院
1985 八代館長 井口 潔 就任 館内広報誌「好生」創刊
1989 東棟(医療指導センター、図書・カルテ室)落成
九代館長 吉田猛朗 就任
1990 救命救急センターと透析室の拡張整備
1994 MRI棟新築
1995 佐賀県 がん死半減プロジェクト「県立がんセンター」構想
1996 十代館長 太田善郎 就任
「好生館百周年記念誌」発刊  種痘の像建立 ※13
1997 基幹災害拠点病院指定
1998 十一代館長 齋藤貴生 就任
緩和ケア病棟(15床)設置
臓器提供施設として指定
1999 感染症Ⅱ類指定医療機関指定
2000 感染症病床(6床)を4階西病棟に設置
2001 オーダリングシステム第一期稼働
2002 オーダリングシステム全面稼働
開放型病床設置
1患者1カルテ実施
2003 地域がん診療拠点病院指定
2004 SCU(1床)を設置
新臨床研修指定病院として研修生の受け入れ開始
病院機能評価Ver4.0受審・認定
十二代館長 河野仁志 就任
地域医療支援病院認定
2006 DPC対象病院
2007 電子カルテ稼動
2008 十三代館長 樗木等 就任
2009 病院機能評価Ver5.0受審・認定
2010 地方独立行政法人へ移行
初代理事長 十時忠秀 就任

写真:明治34年本館病棟改築

※9 明治34年本館病棟改築
モダンな洋館の病院となりました。

 

写真:集合写真

※10 集合写真
2代館長を中心に撮られた写真です。当時の心意気が感じられます。

 

写真:外科手術室

外科手術室
外科手術室の様子です。

 

写真:昭和30年南棟完成

※11 昭和30年南棟完成
昭和30年に南棟が新築されました。改装を行い、以来、緩和ケア病棟、管理棟として使用されてきました。当時の最新の設備を整えた病院でした。

 

写真:昭和52年本館改築完成

※12 昭和52年本館改築完成
本館病棟が改築されて完成しました。

 

写真:1996年県立病院好生館100周年記念

※13 1996年県立病院好生館100周年記念
記念庭園と種痘の像が作られました。

 

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第4期(佐賀県医療センター好生館として新しい歴史が始まる)

2013年(平成25年)5月に、水ヶ江の地を離れ、嘉瀬地区に佐賀県医療センター好生館として新築移転をしました。ここから新しい好生館の歴史が始まります。

出来事
2013 水ヶ江の地を離れ嘉瀬町に新築移転
佐賀県医療センター好生館として生まれ変わる
2014 二代理事長 中川原 章 就任
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2013.5 水ヶ江の地を離れ嘉瀬町に新築移転

 

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