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好生館について

好生館の歴史

第1期:1754~1834年

蘭学の勃興から医学館・医学寮の創設まで

佐賀藩は長崎に近いこともあり、海外の情報にも明るく、幕末の頃には、工業、医学、など日本における、科学の最先端の技術を取り入れていました。1781年(天明1年)好生館の前身である藩校『弘道館』が設立されました。1805年(文化2年)古賀穀堂が弘道館教授となり、1806年(文化3年)に『学政管見』を著わします。この中で、医学教育の必要性を訴え、好生館の設立の理念の一つである『学問ナクシテ名医ニナルハ覚束ナキ儀ナリ』と述べています。1830年(天保1年)鍋島直正公が第10代藩主となって藩政改革に乗り出し、1834年(天保5年)佐賀市八幡小路に医学館・医学寮を創設しました。この時医学寮には直正公より「好生館」の扁額が下し置かれており、この頃すでに好生館と呼ばれていたことがわかっています。これが好生館の由来です。

第2期:1843~1896年

医学館・医学寮の創設から佐賀県立病院好生館へ

1834年(天保5年)の医学館・医学寮の創設より、佐賀藩は、時代の最先端にあり、1849年(嘉永2年)全国に先駆けた種痘の実施、1851年(嘉永4年)佐賀藩医業免札制度の発足(全国に先駆けた医師免許の発行です)など、先に例を見ない新しい取り組みが行われていました。1858年(安政5年)、片田江(佐賀市水ヶ江)に移転して医学館・医学寮・好生館と様々に呼ばれていた名称が、「好生館」に統一されました(好生館の創始)。明治になっても好生館はその機能と理念を引き継ぎ、多くの外国人教師を招き、全国トップレベルの教育と医療がなされていました。

第3期:1896~2010年

佐賀県立病院好生館誕生から新病院移転まで

1896年(明治29年)『佐賀県立病院好生館』となりました。以後、2010年(平成22年)地方独立行政法人に移行し2013年(平成25年)4月まで、水ヶ江の地にて佐賀の医療を担う地域の中核病院として、医療教育と医療提供との使命を果たしてきました。

第4期:2013~

佐賀県医療センター好生館として新しい歴史が始まる

2013年(平成25年)5月に、水ヶ江の地を離れ、嘉瀬地区に佐賀県医療センター好生館として新築移転をしました。ここから新しい好生館の歴史が始まります。